監視カメラ問題

2004年10月29日、九州弁護士会連合会の主催で、「監視カメラとプライバシー」と題するシンポジウムが開かれました。
 私は、このシンポジウムの理論班の実行委員として関与し、パネリストとしてパネルディスカッションに参加しました。この時のパネリストとしての発言をもとに、監視カメラ問題についてご説明します。

1 監視カメラの有用性に対する批判的検討
(1) 主観は有用性の根拠とならない。

 監視カメラの有用性について、有用性はあると思っている方が大多数だろうと思います。しかしながら、監視カメラが有用なのかどうかという問題は、みんながそう思うかどうかではなく、客観的なデータを基に議論すべき問題です。

 事例は全く異なりますが、私が関与していたハンセン病国賠訴訟を例にとれば、戦前、戦後を通じて、ハンセン病の患者の方は、危険な伝染源であるから、国民の健康や安全を守るためには、生涯隔離されなければならないのだと、国民のほとんどの人は思っていました。しかしながら、これが昭和28年から客観的根拠がなかったことは、熊本判決の指摘するとおりであり、今は皆さんご存じの通りです。

 国民の意識、世論調査だけによって監視カメラの有用性を結論づけるのは絶対に認めるべきではありません。

(2) 防犯効果に関する検討

 監視カメラの効果については、2003年7月に長崎で起きた、幼稚園児の突き落とし殺人事件で、商店街の監視カメラで少年が検挙されたという事例がよく挙げられています。

 しかし、この事件は、監視カメラで検挙の効果があったとはいえても、防犯効果があったとはいえません。なぜなら、家庭裁判所の少年事件の審判(刑事訴訟の判決にあたるもの)では、少年は、ビルの屋上で監視カメラがあることに気がつき、自分が監視されていること、それが記録されていることに動転し、あわてて幼稚園児を突き落としてしまったとされています。つまり、監視カメラは、犯行の直接の原因であったことが解明されているのです。この事件では、監視カメラは防犯効果があったというのではなく、(少年の判断の未熟さも大きな原因ではありますが)犯罪を招いた原因と裁判所によって認定されているのです。

 くれぐれも、防犯効果と、検挙効果を混同してはなりません。

 2006年に起こった川崎市の成人による子供の突き落とし事件、青年の突き落とし未遂事件についても、マンションの監視カメラの映像が、犯罪検挙効果があったことは明らかですが、防犯効果はありませんでした。

 本当に防犯効果があったといえるためには、犯罪を犯そうとした人が、監視カメラを見て、犯罪をやめてしまう必要があります。しかし、犯罪を犯そうとした人の内、一体何人が、監視カメラを見て犯罪をやめてしまおうと思うでしょうか。

 せいぜい、見つからないように、監視カメラがない、他のビルやマンションに移動するなど、犯罪場所の移動効果程度しか期待できないのではないでしょうか。

 監視カメラに対する国民の意識調査は、監視カメラの運用データ、海外での効果の検討、人権制約に関する国内外の議論などの十分な情報提供がなく、単なる印象だけであったり、逆に、誘導されたものであるという指摘があります。

 全国に400万台もの監視カメラが設置されている監視カメラ大国のイギリスでも、1997年、1998年の議会(科学・技術特別委員会)において、次のような指摘がなされました。

 スコットランド刑事学センターの研究によると、「犯罪への恐怖についての質問を用意した上で、監視カメラへの賛否をとうと、90%の賛同率が得られるが、市民的自由の観点から是非を問うと、50%まで劇的に減少する。」

 また、1992年のイギリス内務省報告では、「監視カメラに対する市民の支持は、公共の場所に設置された監視カメラシステムの機能や能力についての限られた、そして一部不正確な知識によって得られている」と結論づけられている。

 そして、この委員会の結論はこうです。

「監視カメラは、犯罪全体の減少につながっているのか、あるいは単に犯罪を監視地域以外に移動させているだけなのかは、定かではない。監視カメラによる監視効果はあまりないとする分析結果も示されている。概して、費用対効果分析はあまりにも粗雑と見る証言が多い。費用対効果や、監視による犯罪の恐怖及び不良行為の減少率に関する報告を用意するよう勧告する。」

 そして、2002年のイギリス内務省報告によれば、「監視カメラによる犯罪防止効果は、駐車場に設置された監視カメラによって車上荒らしについては5%減少したが、繁華街に設置された監視カメラや、公共交通機関に設置された監視カメラについては、効果が認められていない。」

 学会誌に発表された研究では、「暗い路地では、街灯を設置したり、警察官がパトロールした方が、犯罪防止や犯罪不安の軽減においてより効果があった。」とされています。

 全国に400万台の監視カメラを設置して、ロンドンで1日で歩くと、300台のカメラにとらえられるという日本よりはるかに進んだ監視国家のイギリスが、身を挺して実験されている監視カメラの防犯効果に関する客観的分析は、現時点で入手しうる最も信頼しうるデータというべきです。その結論が、ほとんど効果がないというのですから、私たちのイメージの世界とは違って、監視カメラには客観的には防犯効果が確認できないと結論づけるべきではないでしょうか。

 我が国にも、新宿の歌舞伎町に、警視庁が監視カメラを設置しているという事例があります。

 ここでは、監視カメラ設置後、犯罪が減少したと説明されていました。しかしながら、監視カメラ設置後、新宿署管内での犯罪が減少した反面、お隣の池袋署管内で犯罪が激増しました。

 これが、「犯罪の押しのけ」といわれる現象です。監視カメラを設置した場所での犯罪が減少しても、そのカメラ以外の部分に押しのけられ、周辺の犯罪が増加して全体としての犯罪が減少しないことになります。

 これは、犯罪が、「監視カメラがないから起こる」のではなく、貧困や差別等の別の原因によって起こるものであり、監視カメラの設置は、このような犯罪原因の根本的な対策ではなく、単に、その場所から犯罪を押しのけるという対症療法にすぎないことを示しています。監視カメラさえ設置すれば、犯罪が減少して安全な社会になる。そのようなイメージだけで犯罪対策を考えることは、その専門である刑事政策という学問や、その研究者をないがしろにした議論と言わざるを得ません。戦後直後に多発した犯罪が減少したのは、貧困が克服されてきたことその他の社会的要因に負うところが大きいとされています。適切な社会政策こそが最良の刑事政策であるとも指摘されています。犯罪の減少には、犯罪の原因を科学的に検討し、その原因を除去するための努力が必要です。

 単なる押しのけ効果しかない場合、至る所に監視カメラは設置されたけれども、全体として犯罪は減少していないという結果が出ることが予測されます。実は、これが今のイギリスの現状と言わざるを得ません。

 この結果、イギリスは何を得たのでしょうか。

 年間85億円以上の膨大な国家予算の投入、国民の一挙手一投足が把握できる社会、そして、犯罪の数については、監視カメラ設置前と変化のない社会、このような社会は、私たちが求める社会といえるのでしょうか。

 他人から監視されるという不利益だけははっきりしているのに、犯罪減少がえられない監視カメラの設置が、私たちを幸せにするとは考えられません。
このように考えると、監視カメラの設置によって得られるのは、主観的な安心感だけにすぎないのではないでしょうか。

 しかも、この安心感は、犯罪が急増しているという不安感に対応するものです。

 犯罪を防止する必要があることはあまりにも当然のことであって、これに反対する余地はありません。問題は、犯罪防止のために、どんな手段を採ることが妥当なのかということにあります。犯罪防止という社会的な有益性が確認できず、人権を侵害するだけの処置をすることは認められるべきではありません。

 話は変わりますが、ハンセン病政策が、実際には感染源とはならない患者の人権を否定して、国民の安心感の犠牲にさせられたこと、ハンセン病に対する恐怖心が、国によって意図的に作り出された偏見だったことと比較してみても、今の監視カメラ急増の動きについては警戒をする必要があります。

 防犯対策が必要であることと、監視カメラの設置とは客観的には無関係であり、これを一体として考える前に、一呼吸置く必要があると思います。

2 イギリス・ドイツの規制の在り方
 それでは、海外では監視カメラはどのように規制されているのでしょうか。

 監視カメラ大国となったイギリスと、逆に厳格な規制をとる代表的な国であるドイツを例にとって説明します。

 イギリスとドイツは、どちらもEUに所属しています。

 EU諸国では、1980年にOECDが定めた個人情報保護の原則であるOECD8原則を基にして、同年に「個人データの自動処理に係る個人の保護に関する条約」を定めています。さらに、情報通信技術の進展に対応するため、1995年に、EU個人情報保護指令を採択しています。

 これらの定めは、監視カメラで捉えられる顔情報等の個人情報が、識別可能なものである限り適用されることになっています。

 その具体的内容は、同意なしに収集してはならないこと、必要性のないデータの収集や利用を行ってはならないこと、情報を収集される個人が、単なる客体ではなく、情報に関する主権者として、開示請求権、異議申し立て権、間違っている場合等についての消去、修正請求権を持っていることなどです。

 従って、監視カメラ大国であるイギリスにおいても、データ取得のためには目的が事前に明確にされていなければならないし、それが通行者に認識されなければならないし、得られたデータが目的外に使用されてはならないし、被撮影者から請求があれば、開示を行い、間違っていれば訂正、消去をしなければなりません。

 逆に言えば、このような責任を負うことのできないものが、監視カメラを設置することは許されないわけです。

 個人情報の取得の必要性や同意原則に関しての解釈が異なることから、イギリスでは、街頭における監視カメラの設置規制に関する規定がありませんが、逆にドイツでは、街頭での監視カメラの設置は原則として規制しています。

 ドイツの連邦データ保護法6条は、「公的に通行可能な場所の工学・電子装置による監視は、①公的機関の任務遂行②家屋権の行使③具体的に確定された当該関係人の正当な利益の行使のために必要であり、かつ当該関係人の保護に値する利益を優越させる根拠が存しない場合にのみ許される。」と定めています。

 ここで、「公的に通行可能な場所」というのは、公道を含む公共の場所、公共施設、私人の店舗等をすべて含む概念です。

 ドイツでは、不適切な監視カメラの設置に関しては、個人情報保護に関する専門家の大学教授が務めるデータ保護観察官が、必要性のない監視カメラの撤去や、目的外利用などの運用の改善を求める勧告を行い、設置者によって自主的に改善されています。

  その勧告例を通してみられる設置・運用基準の特徴を挙げると、一般私人が、公道に監視カメラを設置してはならないと言うことや、マンションにおける監視カメラについても、必要がなければ撤去を求めていると言うことです。

 一般私人が、公道に監視カメラを設置してはならないことについては、例えば、ノルトライン・ウェストファーレン州データ保護法では、「町並みや駐車場は公的な路面であり、基本的には家屋権を根拠に監視することは許されない。」と明文で定めています。

 銀行が、強盗発生に備えて、犯人の到着や逃走のルートを探るために公道に向けて設置しようとした監視カメラの設置を違法であると勧告し、銀行が計画を改めた例があります。

 また、359度回転式カメラにより、200メートル離れた車両の標識と人物の顔が認識できるカメラは、目的を超え、関係者の人格権の比例原則に反した侵害である、として、カメラの旋回範囲を技術的に制限したり、ズームレンズを取り替える必要がある、と言う勧告が出された事例があります。

 公的に侵入し得ない集合住宅内に設置された監視カメラにおいても、そこに設置される監視カメラは、他の賃借人や来訪者の一般的人格権を侵害する事に留意されなければならなりません。

 マンション入り口のラウンジの隅に向けられた監視カメラにつき、くずかごの燃焼や窓の破損事件が2年以上前だったことを理由に、家屋権の保障のために必要でないとして撤去を求めた事例があります。 このように、ドイツでは、監視カメラの設置自体について、その設置の必要性を厳格に吟味し、必要性のない監視カメラの設置規制を厳格に行っています。この考え方は、イギリスの考え方とは全く正反対ですが、京都府学連事件判決など、わが国における写真撮影、ビデオ録画に関する厳格な考え方とも符合し、参考になるものです。

 公道における監視カメラの設置規制は、ドイツだけではなく、他にもデンマークやスイスなどでも行われていることであり、決して非常識なことではありません。 なお、運用基準について言うと、監視カメラが設置されているのかいないのか分からないような形で、通行人の画像を一つ残らず録画していくという形での監視カメラの設置が行われている日本の現状は、国際基準で判断すると、明白に違法です。

 オランダでは、公道に表示のない監視カメラを設置したものは、盗撮罪という、刑法上の犯罪で処罰されるように、2004年に刑法改正が行われています。

 ちなみに、イギリスでさえ、覆面監視(表示なしの連続撮影)については、特定の犯罪行為の存在や必要性、有効性、期間の限定などの厳格な要件を設けています。

 つまり、日本の監視カメラの運用状況は、監視カメラ設置をほとんど規制しないイギリスの基準でさえ、違法であると言わざるをえないのです。

3 モデル条例案
(1) 監視カメラの位置づけ

 はじめに、モデル条例案の前提として、監視カメラの位置づけについてお話しします。

 直接犯罪が減らないとしても、犯罪が起これば、検挙につながるから有用性があるという議論もなされています。そして、今や防犯カメラの有用性は常識であり、それを抑制するのは非常識だ、と言う議論もされているようです。

 しかしながら、本当にそれでいいのでしょうか。

 犯罪の捜査には、相手方である容疑者の人権に制約を加えるので、誰でも自由に捜査をすることは許されていません。権限のある捜査機関が、憲法や刑事訴訟法に定められた厳格な手続きにのっとって、必要があれば裁判所の令状を取った上で、また仮にそうでない場合であっても、存在する具体的な嫌疑に比例する限度の捜査方法をとることができるだけであるとされています。

 従って、捜査権限のない一般の方が、捜査や捜査の準備行為をすることが当然に認められるとは言えません。 しかも、捜査権限のある警察等が監視カメラを設置することにも大きな問題があります。

 警察が国民の容ぼう等を写真撮影することが許されるのは、①犯罪が現に行われたか現に行われて間もない時点で、②証拠保全の必要性・緊急性があり、③撮影が一般的に許容される限度を超えない相当な方法を持って行われるときとする京都府学連事件(最判昭44.12.24)があります。

 この判例は変更されておらず、その後の山谷監視カメラ訴訟、西成監視カメラ訴訟でも、基本的にはこの判例の基準を基に判断が行われています。

 平成6年の西成訴訟判決は、「犯罪予防の段階は、一般に公共の安全を害するおそれも比較的小さく、録画する必要性も少ないのであって、このような場合に無限定に録画を許したのでは、右自由(肖像権)を保証した趣旨を没却するものであって、特段の事情がない限り、犯罪予防目的での録画は許されない」と判断し、録画がなされていない、単なるモニタリングでの監視カメラについて、1台の撤去を命じました。この判決は、最高裁でも維持されています。

 捜査権限が法律で定められている警察による監視カメラの録画が、犯罪予防段階では特段の事情がない限り許されないとされているのであり、そのような権限のない一般私人による、録画を伴う監視カメラの設置が許されるのは、当然というわけにはいきません。

 その具体的基準については後に述べたいと思います。

(2) 対立する利益の存在の必要性

 九弁連シンポ実行委員会では、監視カメラの現状について、全国での統一的な法規制が存在しないことを前提に、法規制が必要であるとし、条例案を提言しています。

 この条例案は、基本的には、ドイツの連邦データ保護法6条を参考にしながら、それを具体的にイメージしやすいように類型化を試みたものです。未だ不十分な点が多々ありますが、議論を巻き起こす前提としてあえて単純化した試案であるとご理解下さい。 ドイツの考え方の基本は、監視をしてプライバシー権や肖像権を制約するためには、①具体的な権限(公的機関の任務遂行、家屋権)や②これを上回るだけの具体的な対立利益が必要だと言う点にあります。

 この考え方は、他ならぬ日本国憲法がとっている立場と全く同じなのです。

 肖像権やプライバシー権は、国に何かしてほしいという請求をする権利ではなく、国に妨害しないでほしいという自由権に属しますから、内在的制約に服します。

 弁護士の方には釈迦に説法ですが、我が憲法は、個人の尊厳を最高の価値としており、国家はそれに奉仕するための手段にすぎないとしているため、抽象的な国家利益のために最高の価値である人権を広範に停止することはできません。人権を制約することができるのは、同じ最高の価値を有するほかの人権を保障するための必要性がなければならないわけです。人権を制約する公共の福祉という概念がこのように、人権相互の衝突を調整する原理として理解されるべきであることは、一般的にどこまで十分な理解がなされているか大変心許ないところではありますが、憲法学の基本中の基本と言っていいわけです。

 犯罪に対する漠然とした不安感の解消は、プライバシー権を制約するに足りる人権とはいえません。

 プライバシー権・肖像権を制約することができるのは、現に犯罪がその場所において起こっている場合か、あるいは、その場所における犯罪発生の高度の蓋然性が具体的に存在する場合でなければなりません。 このような場合には、具体的に発生が予想される犯罪を回避することによって得られる生命・身体の自由、財産権、住居権等の保護のために、プライバシー権の制約が許されることがあり得ることになります。

(3) 管理権限との関係

  このような一般論を前提として、次に、監視カメラを設置する前提として、その場所に対する管理権限とのかねあいで、どのような条件があれば設置が認められるか、を検討していくことになります。

ア) 公共の場所
 まず、公道や公園など、そこを自由に通行したり滞在することが認められる公共の場所については、原則として監視カメラの設置は禁止されるべきです。

 公権力が主体となる場合には、街頭のデモ行進に際しての写真撮影でさえ、令状かまたは現行犯的状況を要求した京都府学連事件判決が直接妥当するからです。また、この基準を緩和した形での設置を行うことは、捜査機関による行き過ぎによる人権侵害を可能な限り防ごうとする憲法、刑事訴訟法との均衡上、明確な法令が必要です。

 私人が主体となる場合には、街頭における自分が被害者とはならない犯罪を捜査する権限が一般的には存在しないことから、原則として許されません。ドイツでも、私人による監視カメラの設置は原則として許されていません。

 仮に許される場合があるとすれば、自分が被害者となる犯罪が現に何度も起こっているなどの、犯罪発生の高度の蓋然性があり、証拠保全の緊急性、必要性があり、他のより人権制約的でない方法での目的達成が困難であり、そのことを第三者機関が許可した場合に、期間を限定して設置されるべきです。

イ) 公共施設
 市役所、裁判所などの公共施設においては、原則として①に準じるが、営業時間外には人の自由な通行が原則として不可能であるから、その時間帯に限り、出入り口等に設置することは許容されるべきです。

ウ) 店舗等
 店舗等の民間の施設においては、重大犯罪である強盗罪発生の相当程度の蓋然性のあるATMやレジ等については設置が認められてよいと考えられます。その他は②に準じるべきです。万引き防止のための監視カメラは、万引きの横行などの具体的事情がなければ、常時撮影することは行き過ぎです。これらの考え方は、1989年頃に、裁判官や検察官から発表された論文においても支持されている考え方です。

エ) マンション等
 マンション等においては、同意しない賃借人や、来訪者の肖像権保護のために、共用施設への設置は慎重に行うべきです。可能な限り全員一致で行うべきであり、少なくとも特別多数決で決しなければならないとしています。また、一般人が自由に利用しうる集合郵便受け等に対する設置は特別の必要性がない限り認められるべきではありません。これはビラ配りなどの、民主主義社会の根幹を支える表現の自由を保護する観点からです。

オ) 運用基準
 設置された監視カメラは、世界で承認されている厳格な運用基準(表示を行うこと、管理外・目的外の区域を撮影しないこと、目的外利用・提供を禁止すること、被撮影者からの開示請求に応じること等)を遵守すべきです。なかでも、適切な表示を欠くものは盗撮であって明白に違法です。

カ) 第三者機関
 許可手続きに関与する機関として、また、以上の設置、運用基準に反する疑いがあるものについての苦情処理機関として、第三者機関を設置し、改善が図られるべきです。