個人情報の結合は、プライバシー権を侵害する。

 誰がいつ、誰と誰の間で生まれ、

 どのような学校へ行き、

 どのような成績を修め、

 どんな仕事をして、

 どのくらいの収入を持ち、

 どのような家庭を持ち、

 どのような福祉関係の支給を受け、

 どのような病気でどこの病院にかかり、

 どのような犯罪歴を有し、

 公立図書館においてどのような本を読んでいるか、などなど。

 社会国家化した現在、公権力は、膨大な個人情報を保有している。

このような個人情報は、別々の行政機関により、また、同一の市区町村役場であっても、別々の担当課で別々のコードによって厳密に分散管理されている限り、一応個人のプライバシーは安全であるといえる。

 しかし、仮に各行政機関、あるいは、同一の市区町村役場であっても、すべての課で共通に使用できる共通番号を用いて、個人の情報を統合することは、必要もなく個人のプライバシーを冒すことにつながり、個人が、行政機関からの一方的な管理の対象になる危険がある。

 住基ネット稼働時に、「牛は10桁、人は11桁」として、付番に対する反対の声が上がったのは当然である。狂牛病騒動をきっかけとして、牛の出自や飼育状況等の詳細を捕捉できるよう、牛に識別番号を振られたのは行政上の必要性がある。ではなぜ、人にも牛と同じように識別番号を振られなければならないのか。その具体的な行政上の必要性はあったのか。必要もなく付番したとすれば、国家は何を目的としたのか。

当初、住基ネットの目的は、遠隔地の住民票取得や、転出・転入届の簡素化などと説明されたが、微々たるもので説得力に欠けた。

 国は現在、訴訟において、住基ネットが「IT国家の基盤」であり、「24時間、自宅やオフィスからインターネット経由ですべての行政申請等の手続きを可能とする」ことを目指すとしている。

 国がこのような説明を始めたのが、住基法改正後であることのまやかしも問題だが、このような社会を実現した場合、鳥栖や福島でのなりすまし事件等を考えると、利便性より危険性の方が大きいし、費用対効果の面で、膨大な国家予算の無駄遣いとなる(住基ネットの導入費用が800億円、1年間のランニングコストが、人件費を除いて200億円とされている)。