福岡判決について

 2005年10月14日午前10:00、福岡地方裁判所は、原告ら24名の住基ネットからの離脱を認めない、原告全面敗訴の判決を下しました。
 この判決は、以下の内容でした。

① 差し止め請求が認められるためには、ア)人格権が物権的請求権と同様の排他的な内容であり、かつ内容や外延が明確であること、イ)人格権を現に侵害しまたはこれを侵害する恐れがあること、ウ)その侵害が違法であること、を要する。

② 住民票コードの付番は、技術上の無作為の数字であり、変更可能であり、氏名権を侵害しない。

③ 法には、個人の包括的管理を行う旨の規定はなく、流通する個人情報が本人確認情報に限定されており、利用事務の拡大には法改正が必要であるから、公権力による包括的管理からの自由権を侵害しない。

④ 本人確認情報をみだりに収集、開示されないという限度での人格的利益は認められるが、自己情報コントロール権は、内容及び外延が必ずしも明確ではない上、個人の内心に関する情報ではないから、差し止め請求権を与えるにふさわしい内容の人格権としての権利性がない可能性が高い。しかも、以下の通り違法性もない。

⑤ 仮に原告らの主張する人格権が認められるとしても、公共の福祉による制限を受ける。その基準は、ア法も立法目的に合理性があるか、住基ネットの必要性があるか、イ本人確認情報の利用形態が相当か、である。

⑥ 立法目的は、行政サービスの向上と行政事務の効率化であり、十分な合理性がある。電子政府・電子自治体を実現するための基盤となる不可欠なシステムであり、必要性もある。

⑦ 4情報は公開情報なので、秘匿すべき必要性は高くない。住民票コードも無作為な数字であり、行政事務を遂行する上で必要な範囲では、秘匿すべき必要性は高くない。利用形態は、行政手続きに関する事務に限られており、相当である。

 この判決は、争点を正しく整理できていません。
 原告らは、訴状においても、最終準備書面である準備書面13でも、一言も「氏名権」なる主張は行っていません。
 原告らは、住民票コードが、異なる行政機関相互で相互に検索可能な共通番号であることが、それまでの付番行為と根本的にことなるものであり、名寄せにつながるため、国家からの管理の対象物とされてしまう危険があると指摘してきました。
 ところが、裁判所は、その定義についてのべないまま氏名権侵害の有無を論じ、従来の、個別行政事務処理のための限定的な付番行為と同じであるから侵害性がないと結論づけました。
 これは、従来の限定番号と、住民票コードという共通番号の違いについて論じてきた2年半の原告らの主張を全く理解しないものであり、的はずれと言わざるを得ません。

 住民票コードを「無作為に作成された数字であり、それ自体から個人情報が推知されることはないから、行政事務を遂行する上で必要な範囲では、秘匿すべき必要性は高くない。」とする判決は、改正住基法自体が定める、住民票コードの秘匿のためのさまざまな措置すら無視するものであって、国の主張よりも後退した内容です。
 4情報についても、公開されているので、秘匿すべき必要性は高くないとしています。これは、愛知県の女児強制わいせつ事件などをきっかけとした4情報の公開制限という総務省の動きにも反する内容です。

 また、住基ネットの利便性、必要性については、金沢判決の原動力と考えられる黒田証人の意見書のみならず、福岡訴訟においては、尋問が実施されたにもかかわらず、その証言内容や、これをめぐる原告の詳細な主張や、これに対する被告の反論をふまえない皮相的なもので、一体何を審理してきたのかと疑問を持たざるを得ません。

 金沢判決は、個人情報の重要性を前提として、住基ネットの必要性、重要性について詳細な検討を加え、これを否定して住民らの離脱を認めました。その内容は、全文88頁、判断部分33頁に及ぶもので、緻密かつたいへん説得力のあるものでした。
 これに対し、福岡判決は、全文34頁、判断部分12ページしかありません。
 当然、内容も薄く、国が唱える、建前としての抽象的な利便性、必要性をひたすら追認するだけで、具体的検討は全く無視しています。目の前で聞いた黒田証言すらあたかも存在しないかのようです。

 原告らは、10月21日、全員一致でこれに控訴しました。今後は、控訴審において適切な審理が行われ、離脱が認められるよう取り組んでいきます。