事案概要と決定の経過

* 事案の概要と高裁決定までの経過
 昭和54年10月15日、鹿児島県曽於郡大崎町において、男性(当時42才)の死体が、同人の牛小屋の堆肥中から発見されました。

 捜査当局は、当初男性の付近の2人の犯行とみて、2人犯行説に立った警察官調書を作成しました。しかし、Aさんが、男性に保険金をかけていたこと、2人が犯行があったとされる当夜すでに寝ていたことから、Aさんがこの2人に働きかけて犯行に至ったという3人犯行説に転換しました。

 Aさんは一貫して否認したものの、他の2人及び死体遺棄のみを手伝ったとされたYは、厳しい取調に耐えかねて自白調書に署名したばかりでなく、公判廷でも争わず、刑に服しました。Aさん以外の3名は、十分な防御能力がなかったため、犠牲になりました。

  Aさんと他の3名は、別々に審理されたものの、同じ合議体で、常に3名の審理が先行する形で同時並行的に公判が開かれました。その結果、裁判所は有罪の心証を得た上でAさんの審理に臨み、Aさんの公正な裁判を受ける権利は保障されませんでした。これは、否認事件にもかかわらず、事実認定上の問題点について何ら触れることなく、結審のわずか6日後に、あっさりと懲役10年の有罪判決が下されていることからも明らかです。

 Aさんは最高裁まで争ったものの、その訴えは認められず、出所後の1995年4月19日、再審請求を行いました。

 本件の争点は、被害者の死因を絞頸による窒息死とする鑑定書の信用性及び、共犯者の自白の信用性です。

 被害者が行方不明になった前日、道路脇の側溝で、自転車から転落しているところを近所のものに運ばれていることが明らかにされていますが、死因が転落事故によるものである可能性があることを、当時の鑑定人が認め、鑑定書は実質的に変更されました。さらに、2000年7月に、確定判決には医学的根拠がないとする新たな法医学意見書が提出されました。

 2002年3月、鹿児島地方裁判所で、画期的な再審開始決定が出され、無罪判決に大きく近づいたと思われました。

 ところが、2004年12月9日、福岡高裁宮崎支部は、鹿児島地裁の再審開始決定を取り消しました。

 しかしながら、これは、白鳥決定、財田川決定など、従前の最高裁判例に違反した判断であり、到底許容されるものではありません。